読むということ@憂

こんにちは、お元気でしょうか。春っぽい気候になりましたね、私は冬に取り残されたくて必死です。なんてったって春、嫌いで、苦手なので。

そんな憂鬱ですが最近はやっとまた本が読めるようになりました。

あくまで個人的ですが、活字や言葉っていうものはいろんな色がある気がしていて、例えば寒い、だったら青、暑い、だと赤。など、人によって様々で面白いです。もっと言えば、さしすせそは緑っぽいとか、らりるれろは紫な気がする、だとか。これを人に聞くと、まあいろんな答えがあって。分かりやすい感性の見方だなと思います。オーラとかって、色で見えたりするじゃないですか、美輪明宏の。そんな感じ。

落ち込んだ時や余裕のない時、どう回復するのか、また、それに浸るのか。自分は圧倒的後者でして。なるべく人と関わりたくないし、何も取り込みたくないのです。脳がごちゃごちゃになるのがまた鬱憤になってしまうのが嫌。

そんなこんなで、私にとっていろんなものを自己的に解釈し、読み取れてしまう本というのが、時には嫌なものになっていたんですね。バランスを取るのが本当に下手なので使わなくていい場面でエネルギーを使いたくない、という感じ。

でも最近になって、やっとこれはこれ、というか、いい意味でも、少し悲しい意味でも、折り合いをつけ感情移入するのをやめることができるようにやりました。

しかし問題は、あまりにもあっけらかんになってしまって本をただ読んでいる、理解しようとしている。そんな機械みたいになってしまう気持ちもあって嬉しくはなかったこと。

そこで本屋さんにて手に取ったのが、最高に好きな作家、村上春樹の短編集。好きだから進みますし、短編と言っても彼の書く短編集は読み応えがあって、一冊ほどの量はもちろんないので、いい具合に入ってきて終わっていく、こう、しつこくなくてとってもいいです。女のいない男たちという本、お勧めします。

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